「キャー!」「怖い!」……。
お化け屋敷の出口から飛び出してくる人々から聞こえる、ありふれた悲鳴。
申し訳ないが、私に言わせればそれはあまりにもったいない。
せっかく安くない入場料を払い、貴重な時間を割いて、日常では味わえない「恐怖」というエンターテインメントを買いに行っているのだ。ただ目を瞑り、耳を塞いで走り抜けるなど、もはや金をドブに捨てているのと同義ではないか。
こんにちは、「やかましい人の備忘録」へようこそ。
私にとってお化け屋敷とは、単なるスリルを味わう場所ではない。そこは、作り手の意図、アクターの演技力、照明のルクス、そして音響のタイミングが緻密に計算された「究極の設計思想」を読み解く分析の場だ。
今回は、お化け屋敷を愛しすぎるあまり、同行者から「解説がうるさい」と煙たがられる私が、最高の恐怖体験を享受するために自分に課している**「絶対的なプレイルール」**を備忘録として書き残しておきたい。
体験前に決める「私の5つのルール」:絶対破ってはいけない(はずの)備忘録
最高の恐怖を味わうためには、もはや「儀式」に近い準備が必要だ。周りからは「めんどくさい奴だな……」と生温かい目で見られるが、私が自分に課している5つの掟を公開する。
1. 【同行者の選定】リアクションがいい「最高の相棒」を探せ
一緒に行く人は、正直お化けより大事だ。私が狙うのは、「びっくりして膝から崩れ落ちるけど、私の服は引きちぎらない人」。リアクションが薄い人と行くと、こっちのテンションまで下がって「お化け役に申し訳ない」という謎の罪悪感に襲われる。
2. 【役割分担】「先頭」は生贄、「最後尾」は……もっと怖い
順番決めは、もはや命がけのジャンケンだ。私はあえて最後尾を狙う。なぜなら、前が驚いている間に「あ、次これ来るな」と心の準備ができる……と思いきや、実は背後から忍び寄る気配に一番ビビるのが最後尾。この「自ら進んで絶望を買いに行く」スタイルが、マニアの嗜みだ。
3. 【ドレスコード】「音」を出したら負けだと思っている
カチャカチャ鳴るキーホルダーや、キュッキュッと鳴る靴。そんなの「私、ここにいますよ!」と自己紹介しているようなものだ。私は、気配を消すために「忍者」を意識した静かな服装で挑む。お化けを驚かすくらいの静寂で歩く……はずが、結局自分の鼻息の荒さでバレるのがお約束だ。
4. 【リサーチ】「物語」は読み込み、「ネタバレ」は全力回避
公式サイトのストーリーは、穴が開くほど読み込む。悲劇のヒロインの名前まで覚えて、感情移入の準備はバッチリだ。でも、YouTubeの「攻略動画」は絶対に見ない。どこで何が出るか知っているお化け屋敷なんて、答えを知っているクイズ大会みたいなものだからだ。
5. 【視線の固定】目は、絶対に逸らさない(努力はする)
怖いとどうしても目を閉じたくなる。だが、それでは演出が見えない! 私は、震える足を押さえつけながら、「全然怖くないけど?」という、謎の根性を見せることにしている。
私が直面している「唯一にして最大の障壁」
正直に言おう。
ここまで偉そうに「哲学」だの「シークエンス」だの「視線の固定」だのと書き連ねてきたが、私には一つだけ、致命的な問題がある。
……実は私、お化け屋敷の「列に並ぶ」ことすらできていない。
いや、現地までは行くのだ。
駐車場で車を降りた瞬間などは、さも「ああ、またここか」とでも言いたげな、通い慣れた常連のような顔で歩き出す。あたかも今から、馴染みの店でいつものメニューを注文するかのような、自然かつ堂々とした足取りで。
すれ違う家族連れやカップルが、私の迷いのない背中を見て「あの人、相当なマニアなんだろうな」と察するのを感じながら、私は涼しい顔で目的地(お化け屋敷)へ向かう。
だが、いざお化け屋敷の建物が眼前に迫り、そこから漏れ出てくる「禍々しい冷気」と、鼓膜を劈く「本物の絶叫」に触れた瞬間、私の全細胞は一斉にストライキを起こす。
並んでいる人々の最後尾。そこは、私にとっての「死の一線」だ。
そこまであと5メートルという地点で、私は不自然なほど滑らかに、まるで「最初からこちらが目的地でした」と言わんばかりのプロ級の身のこなしで180度方向転換を決める。
そして、一ミリも後ろを振り返ることなく、そのまま園内一平和な「コーヒーカップ」の行列へと吸い込まれていくのだ。これが私の、いつもの「実地視察(という名の完全敗走)」である。
「気持ち」の面では、誰よりもホラーを愛しているし、誰にも負けていない自負はある。
だが、いかんせん私の心臓はミジンコ以下なのだ。このブログは、そんな「頭でっかちの超絶ビビり」が、いつか何食わぬ顔でチケットを差し出せるようになるまでの、遠すぎる道のりの記録である。
実戦投入に向けた「極秘シミュレーション」の全貌〜自宅を戦場に変える、私の涙ぐましい「耐性強化術」〜
いきなり実戦に投入されるのは自殺行為だ。まずは自宅という名のセーフティゾーンで、私の「やかましい」分析眼を維持しつつ、心臓を鍛え上げる訓練(という名の悪あがき)を行っている。
• 昼間のホラー鑑賞(全灯・音量最小):
カーテンを全開にして太陽光を背負い、室内の全照明を点灯させた状態で挑む。少しでも不穏な気配を感じたら、即座に「消音(ミュート)」だ。
視覚情報だけに絞り、恐怖の根源である「音」を封じる。これこそが精神の平穏を保つための究極の生存戦略だが、無音でゆらゆら動くお化けはシュールすぎて、もはや何の訓練にもなっていない。
• YouTube体験動画でのバーチャル参戦:
一人称視点の動画を見る際は、画面を極限まで小さくし、指の隙間から覗き込む。いつでもブラウザを閉じられるよう、右クリックを「閉じる」にセットした状態(安全装置)で挑む。
• 深夜の「自宅廊下」タクティカル・ウォーキング:
夜、トイレに行く時に「私は今、戦慄迷宮の3つ目の角を曲がっている。ここが勝負の分かれ目だ……」と重厚な自己暗示をかける。
だが、いかんせん我が家の壁に映った「自分の影」にすら、ビビってしまうのが現状だ。深夜の廊下で一人、自分の影に戦慄し、動けなくなる虚しさ。
……あまりに効果(というか副作用)が強すぎて、今では夜のトイレにすら照明が必須になってしまったため、この訓練はもうやめた。
結論:究極の恐怖体験とは、まだ見ぬ「扉」の向こうにある
私が「やかましい」知識を蓄え続けるのは、いつかこの情けない自分を卒業し、染みの店へふらりと立ち寄るかのように、堂々と「ああ、今日はこのルートなんだね」と、心の中で軽く呟きながら、行き慣れた場所に向かうような、あの洗練された余裕。それこそが私の目指す終着駅である。
この備忘録が、私と同じように「入り口で引き返した経験」を持つ全ての同志たちへ、一歩踏み出すための勇気になれば幸いである。
……とりあえず、今夜は電気をつけっぱなしで寝ることにする。

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